お侍様 小劇場 extra

     “寵猫抄”
 


          



 夕方に間近い田舎道は、私道だということもあって尚のこと人通りはなく。

 「七郎次?」

 主従という間柄ではあるものの、余程のこと形式ばった場以外では、日頃は並んで歩むものが。どういう加減か少し遅れ気味になっている連れであり。しかも、どうやら意図して遅れているようなので、何をしているものかと勘兵衛が声をかければ、

 「いえ、なるほど猫ちゃんなんだなと思いまして。」

 くすすと微笑った気配があって、何がだとそちらへ振り返ったのと、向こうからひょいと何かが差し出されたタイミングが重なった。触れんばかりというほど顔の間近、鼻先へ突き出された格好になった“それ”へ、

 「…っ。」

 その懐ろへ身を伏せるようになっての、大人しく抱えられていた存在が、間違いなく“それ”を追ってのことだろう。勘兵衛の肩口に乗っけていた小さなお顔を がばと浮かして身を剥がし、紅玻璃の瞳を真っ直ぐに振り向ける。
「それは…。」
「ねこじゃらし、エノコログサですよ♪」
 猫の尻尾のような穂が特徴的な草。道端に生えていたものをいつの間にやら見つけたらしく。白い指先、舞いの小道具のように優美に摘まんでいて、それをふりふりと軽やかに揺らすと、

 「〜、〜。」

 恰幅のいい壮年殿の、ジャケットの懐ろに埋もれるように抱えられていた小さな坊やが、潤みの強い紅色の瞳をきょときょとと揺らして穂の先を追い、

 「ほらほら♪」
 「〜、〜☆」

 穂の先がひょいと間合いを詰めて近寄れば、まんまと誘われた小さな手が伸びて来て。惜しいところで届かぬままに宙を掻く。片手を男の肩先に添えたまま、うんせと身を延ばす様は小さい子供のよくある動作なのに、ただただ草の穂だけを見据える集中は、幼子のそれにしては一途が過ぎて。

 “…なるほど、猫か。”

 狩りの模倣か、狙い定めている視線が一丁前に研ぎ澄まされているところが、子供の好奇心以上の冴えを帯びていて。それで“成程なぁ”と、ついつい彼もまた納得しかかったものの、

 「だから、七郎次。この子は猫である筈がなかろうが。」
 「頑固ですねぇ、勘兵衛様。」






 ゆっくりのんびり歩みを運べば。見晴らしのいい坂の上、瀟洒な屋敷の門前へと辿り着く。頑丈そうな作りの分厚い門扉の前へ、男二人が立ち止まったその途端、
「ああこれ、待ちなさい。」
 勘兵衛の懐ろから、撥ねるようにして降り立った小さな連れが、小さな手のひら広げて見せて、扉をたんたんと叩いて見せる。行き止まりの壁だとでも思ったのだろかと、主従が揃ってその愛らしい所作へ苦笑を零し、
「そら、ちょっとばかりどいておくれ。今開けますからね。」
 大時代のそれ、ごつい作りの鍵を錠前へと差し込めば、がしゃりと重々しい音がし。そのまま押し開けば、視野を遮っていた扉戸が左右に割れて、小ぎれいな前庭が彼らの前へと現れた。此処は勘兵衛の実家の持ち家で、別邸と呼んではいるが、広さといい荘厳な作りといい、東京でこれだけの規模の屋敷を持てば ン十億は下らぬ資産に成りかねない物件でもあって。とはいえ、たまにしか出入りをしないうえに、本格的な補修とやらは一度もしたことがなかったりするので。その古さに近代建築における歴史的な価値が加算されたとしても、資産査定をされたれば…随分と足元を見られるのも必至ではあろう。昭和初期の欧風建築のこれも特徴か、レンガの赤が特長的な正面玄関回りは、ロータリーのような車寄せの先、ポーチの上へ庇が迫り出して、さながら官邸のような趣さえあり。両開きの扉の内には、仰々しい外套を預かったところなのだろ、クロークのある広々とした土間が二手に分かれており。土間のままのL字の先は外套を収納する控えの間に通じていて、もう一方の低い小あがりへと真っ直ぐに上がれば、吹き抜けが開放的なエントランスロビー。奥まったところは談話ゾーンも兼ねており、壁には古風な暖炉が据えられてある。今は火も入らずのそこは暗い穴であるのみで、傍らの大窓から射す秋の日に照らされて、古びた石づくりのペチカが乾いた色合いを褪めさせているばかり。

 「……あ。」

 慣れた様子でロビーへ進んだその先。空気を入れ替えようとでも思ったか、先に立って行って窓へと歩み寄った七郎次が、ふと、何かに気づいて足を戻した。壁にかかっていた姿見に気がついたからで、アールヌーボー風の優美な曲線に縁取られた古風な鏡は、膝上まで裾のある秋色ジャケットにスリムなカーゴパンツという、スポーティなテイストの強いいで立ちの彼を歪みなく写していたのだけれど。その背後に、後から続いていた御主の姿も写り込んでおり。

 「いかがした? 七郎次。」

 確かに、金の髪に青い双眸という華やかな美貌の君ではあるけれど、そんな自分の姿にいちいち見ほれる性分ではなかったはずの彼であり。それがどうして今更、壁の一部というほど馴染んだ鏡をわざわざ覗いているのだろうかと、勘兵衛が怪訝そうに声をかければ、

 「いえね、その子は皆さんにはこう見えてたんだなぁと。」
 「何がだ?」

 くすり微笑って振り返り、御主にも見えるようにと身を譲る。頼もしい肩、胸厚な懐ろに逞しい腰。ゆるいウェーブのついた長髪もそれなりにそぐう、深い智慧の滲んだ濃色の眼差しが印象的な、賢者のように物静かなお人だというに。切れよく動くその体さばきからは、よくよく使い込まれた武装も似合いそうな風情を匂わせもして。そんな風に、いかにも実用から叩き上げたような雄々しくも重厚な長身が、その懐ろへと抱えていたものが、

 「な…。」

 鏡の中では…なんと人じゃあなかった。もふもふとしたキャラメル色のボアストールのような、茶褐色のふわり柔らかそうな毛並みに覆われた、小さな小さな、されど野生のフォルムと鋭さも居残した、しなやかな肢体の

 「………ねこ。」
 「ええ。こりゃあメインクーンとかいう種ですね。」

 まさかと直に見下ろすと、だが、そこに収まっているのはやはり人間の男の子。まだ丸みの強い輪郭のお顔で、向こうからもこちらを見上げ、ただただ小首を傾げて見せており。彼ら二人の困惑なぞ、恐らくは判っていないに違いなく。それが、

 「こらこれ。何か気になる匂いでもしているかね。」

 勘兵衛の腕からすとんと飛び降り、そのまま“ぱたた…”と上がって行って。まずはと駆け寄ったペチカの手前で、いきなりへたりと座り込んでしまう。そのまま四つん這いになると小鼻を先杖にすんすんと匂いを嗅ぎながら身を進め、火床の煤けたレンガ敷きの床へまで、お顔を突っ込みかかった坊やだったので。危ないし埃と煤とで汚れるぞと、慌てた七郎次が駆け寄って、小さな肩を捕まえた。さほどに乱暴にされた訳でなし、むしろふわりと懐ろへ抱き込まれたような案配だったのだけれど。
「あ…。」
 小さくてしかも、掴めば骨にすぐにも達するようなほど頼りなさ。幼いからという柔らかさと、いたって華奢な肉置き
(ししおき)を、その手へ感じた七郎次の方でも、乱暴に扱ったら危ない危ないと感じての、あわわと焦ったところへと、

 「……。」
 「な、何だなんだっ。//////////」

 選りにも選りって向こうさんから、その愛らしいお顔を擦りつけるようにしてのしがみついて来たものだから。懐かれるのは ヤな気はしないが、あまりに唐突だったのと…ぐりぐりとやわらかなお顔を潰れんばかりに擦りつけて来る勢いの強さには少々びっくり。低い姿勢へ屈んでいたのもあってのこと、勢い余ってのあまり、七郎次の側が逆に押されて背後へと倒れ込む始末。
「これっ、せっかくかあいいお鼻が潰れたらどうするねっ。」
「きゅ〜ん。」
 口は利かぬが、返事の代わりか“きゅうぅん”という鼻声を出すものだから。ああこりゃあ甘えているのだなと判って…それから。のしかかられたせいで間近になった煤の匂いや、自分の着ていたジャケットの胸元辺りへの甘えようにはたと気がつき…苦笑が濃くなる。

 「? いかがした?」
 「いえ。ちょっと早いですが、夕食にしましょうか。」

 そういえば、来る途中の列車の車中で、缶コーヒーのカフェオレをこぼしたことを思い出した。そのミルクの香にこうまでの反応を示している坊やなのかも知れず。それと、

 「ほら、先に来たおりに此処でアジの開きを炙ったじゃないですか。
  その匂いが残っててそれで、この子、こんなに興味津々なんですよ。」

 あんなことをしたの、今頃に祟ったようですねと。可笑しくてたまらんと微笑ってそのまま、
「あんた、お腹が空いてたんだね。」
 抱きつかれての間近になってた、寸の詰まった幼いお顔へ声をかければ。透き通った赤みの強い瞳がぱちぱちっと瞬いてから、古いレコードが奏でるような独特のお声で、

   ―― あ"ーーう、と

 初めて、猫でございますと言わんばかりの、甘く震えるちょっぴり低めの鳴き声でのお返事をしてくれて。


  「これは…やはり猫だの。」
  「ええ。やっぱり猫ですって。」


 今更ながら、感服しきりの主従だったりするのである。





        ◇



 今現在はこの勘兵衛が家督を継いだ島田家は、それほどの名士だったわけではないながら、それでもかつては華族の末席に名を連ねたらしいという家柄。それほど世渡りが上手ではなかったらしく、政財界に伝手もないままお家は縮小の一途を辿り、現在に至っては もはや一般の民草と変わらぬ存在となり。資産や格付けのみならず、その頭数もまた…気がつきゃ随分と減ってしまっての、主家筋の人間は今や勘兵衛しかいない在様で。
“何せ、趣味人や風流人が多い家系だったそうですから。”
 そっちの才だけは恵まれていたものか、滅多なことでは価値の下がらぬ優良物件ばかりという家作持ちであったがため、それらの不動産管理を代々の務めとして来たものの。これもまたその余波か、どこかのほほんとした、微妙にのんびりとした坊ちゃん育ちな当主が続き。この勘兵衛もまた…家業の傍ら、好きなことにのみ うつつを抜かしていたものだから、気がつきゃいい年齢にもなって女っ気のないままという有り様。一応は、その“家作”に頼らずともいいというお務めもこなしているにはいるのだが、それがまた、執筆業というから穿っており。

 「ああほら、あんたは向こうで勘兵衛様と待ってなさい。」

 内部もあんまりいじってはないせいで、此処もどこか旧式の作りの厨房に立った七郎次の足元へ、にあにあとまといつく小さな和子であり、
「美味しいの、大急ぎで作ってあげるから。…と、そうか。」
 作りはそのままだが、設備は今時。冷蔵庫や調理器具は割と新しいのを揃えてあったその中、まずはと冷蔵庫を開けて、リットル瓶の牛乳を掴み出し。棚の上からマグカップを降ろすと、半ばほどまでそそいで電子レンジで温める。
「あんまり熱くしない方がいいのかな?」
 温まれば香りも立つものか。???と小首をかしげて見上げていた坊やが、ふんふんと小鼻を膨らませると、またぞろ急かすよに傍らのお兄さんの腰あたりまでへと手を伸ばし、頂戴の仕草をして見せるから

 「さすがだねぇ、もう判ったのかい?」

 50度そこそこ、ぬるめに温め、さあとマグを片手にすぐお隣のダイニングへ。そちらさんはサイドボードのコーヒーメーカーへと向かい合っていた壮年殿へ、

 「勘兵衛様、この子へこれ、飲ませてやって下さいませんか?」

 頂戴頂戴とまとわりつく態も愛らしい、小さな和子から遠ざけていたカップを差し出す。
「飲ませろ?」
「ええ。もしかしたら人の子のようにごくごくとは飲めないものかも知れませんし。」
 自分の口の前へと近づけ、少しほど傾けて見せれば。よほどに焦れたか、綿毛の和子が、むうむうとお兄さんの腰回りを小さなお手々で叩き始める。痛くはないが、これ以上は我慢も利くまいと、はいと手渡し、自分は回れ右。

 「………皿に移して舐めさせるのか?」
 「その姿の子をネコ扱いしたければ よしなに。」

 二人しか居ない場に限ったことながら、端的な言いようで要点をつく物言いをするところ。日頃は小気味いいと気に入っていたものの、今ばかりは少々閉口した勘兵衛だったようであり。そして、

 「ああ、判った判った。ちょっと待ちなさ…、人を登るんじゃないっ。」

 背後から聞こえた喧噪へ、

 “ああああ、覗いてみたいっっ。”

 あんな小さな子供相手に、どんな様子でいる御主なのだか。こうまで間近にいるのに見ては不敬かとの我慢我慢。その肩がふるふると震えていた七郎次だったりしたそうな。


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  *思った以上にほのぼのしております。
   勘兵衛様がここまで押され気味な話って初めてじゃあなかろうか…。


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